MR.ITOのやっつけ仕事

Between facts and delusions

私たちはいつから元気よく挨拶しなければならなくなったのだろう

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明けましておめでとうございます、TQMです。

 

2018年、元旦。

新しい一年の始まり。

一年の計として今年の抱負を述べますと、

「自己満足」でいこうと思います(笑)。

 

その理由の一つは、職場での役割の変化と、そこでの気づきによるもの。

技術的な人材育成業務から、人間力を高めるための人材開発へのシフト、

その結果、受講者一人一人と向き合い、人の心に深く関わったことによるものです。

 

受講者の中で特に気になったのが「元気よく挨拶をする人」でした。

彼らから感じる「わざとらしさ」。

なぜ彼らはわざとらしく感じるのか?

そんな彼らを分析していくと、二つの特徴が見られます。

 

一つは、人からの期待に応えようと懸命であること。

もう一つは、根本的に自信がないということ。

 

原因を探っていくと、彼らは子供の頃から周囲の期待や理想にプラスして、

「今それができていないあなたはダメだ」と言われたり、自ら感じていたりする。

その自己否定が彼らに劣等感を植え付け、自信をなくさせているのです。

ーーなんて悲しいことでしょう。

 

そして、劣等感を持った彼らは欠けた心を補うために、人から承認されることを必要以上に求め、期待に応えようとしているように思えてなりません。

 ーーなんと健気なことでしょう。

 

ここで彼らの劣等感の原因となったものは、親、友人、先生、上司、果ては本、ネット、テレビなど周囲の人や環境すべてです。

彼らは、この環境から受けるメッセージ、例えば、親や先生からの「〜しなさい」という言葉、友人の楽しそうな姿や成功した姿、情報媒体から発せられる人としての理想像などから、親や友人のように「理想的ではない自分」を否定し、劣等感を抱えていくのです。

 

 その結果、自分が本当に好ましいと感じることをする「自分らしい自分」ではなく、他人の期待や理想通りでなければならない「他人から押しつけられた自分を生きることになる。

ーーもう、苦しくてしかたありません。

 

この「自分らしさ」と「理想的であるべき自分」のギャップ、苦しさこそが、彼らのわざとらしさの正体なのではないでしょうか。

 

そこで私は、

「自分はダメじゃない」と思うこと、

「自分は自分らしく生きていい」と思うことが大切なのではないかと思うのです。

 

テレビもネットもなく、親も友人もいないとしたら自分は何がしたいのか、

そんな「野生の自分」が求めるもの、

その心の声を感じて行動することが大切なのではないでしょうか。

 

それは盛大な自己満足なのかもしれません。

自己満足という言葉を否定的に捉えてしまう人は、次のように考えてみてはどうでしょうか?

 

もし、あなたが満足であれば、

その行いに対して満足する人が少なくともこの世に一人いるということです。

もし、あなたが不満足であれば、

その行いに対して満足する人はこの世に一人もいないかもしれません。

 

このように考えてみれば、自己満足もいくぶん上等なもののように思えます。

 

そんな自己満足の行動が、結果として偶然にも他人の期待に応えられたら、

とても素晴らしく嬉しいことではないでしょうか。

 

自分も他人も幸せになれる自己満足を目指す。

その第一歩として、自分自身が自己満足を感じて生きていくこと。

それが、ヒト、モノ、コトのあふれる現代に生きる私たちにとって、

最も重要な課題なのではないだろうか。