MR.ITOのやっつけ仕事

Between facts and delusions

パンツなにいろ?

みなさんこんにちは。
先日、本屋に行ったら過激なタイトルの本が並んでいました。

『夫のちんぽが入らない』

もうね、「バカか」と。
「言葉や文章の表現ってそうじゃないだろう」って思うんですよ。

だって「夫のちんぽが入らない」なんて、ただの事実報告じゃないですかっ!

「可愛い女の子のお尻を触ったら逮捕されてしまいました」ぐらいに、何の含みも余韻も感じられないじゃないですかっ!

僕としては、曲がりなりにも本を出す人なら「小さくて大きな夫婦の問題」とか「入れられる勇気」とか「夫の息子はビックダディ」とか、なんでもいいから表現力を使って欲しいなって思っちゃうんですよね。

まあ、直接的で過激なタイトルを持ってくることで人の注意を引こうという戦略なのかもしれませんが、僕にはちょっと抵抗のある手法だったりします。

ちなみに本の内容は読んでないので分かりませんが、売れているのできっといいものなのだと思います。

というわけで、今回のタイトルは、

「パンツなにいろ?」

いや〜、我ながらとても含蓄のあるタイトルだと思いますね。
まだ二月だけど、もう今年の流行語大賞はもらっちゃったんじゃないかコレ。

あっ、いま心の中で「さっき言ってた話と違うぞ」って思っちゃった方は、急いで薬局に行ってグッスミンというお薬を買って飲んでください。そして頭をスッキリさせてから続きを読んでください。

 

冗談はさておいて、言葉や文章というのはその人の心を移す鏡だと思うんですよ。

「いつもよりメイクが少しだけ濃いから今日のデートは気合いが入っている」とか、「薄毛とハゲの境界はどこからだろう」とか、「美少女のお尻を触るとどうして逮捕されてしまうのだろう」とか。

言葉とはいわば、その人がどれだけの物事を感じ取り、それをどのような出来事だと捉えているかという「認知と認識の力」によって、心の中から現実の世界に表れてくる思考そのものだと思うのです。なので、当然、その人の「思考のクセ」が表れてくるのではないでしょうか。

わかり易い例で言えば、「嬉しい、楽しい、良かった」などポジティブな言葉を多く使う、「悲しい、つまらない、もういやだ」などネガティブな言葉を多く使うということ、又は直接的な表現を好む、間接的な表現を好むなどという「言葉の傾向」が「思考のクセ」の例だということです。

そして、その言葉の集合体が文章。

つまり、文章というのは普段見ることのできない、人の頭や心の中にある思考と嗜好の集大成(哲学や理論)だと言えるのではないでしょうか。

しかし、最近は作家やブロガーでない限り文章を書く人というのは、かなり少なくなってきているのではないでしょうか。なので、友人や恋人、家族の文章を目にする機会というのは、なかなか無いように思います。

そこで代わりになるのが「どんな本が好きか?」ということ。

つまり、本人が書かなくても、どんな本が好きか質問することで、その人の思考の傾向をある程度知ることができるのではないかといこうことです。

というわけで、僕は本当に仲良くなりたいと思った人から好きな本を聞いて読んでみるという行為をしばしば行います。

そのときに教えてもらった本がベストセラーであれば「ああ、この人はまともな人なんだなあ」と無難な選択にガッカリしたり(聞いておいて失礼)、ちょっとアングラな本であれば「おーっ、こんな一面もあったのか」と意外性が垣間見られて嬉しくなったりします。

 

ここで、言葉や文章のもつ「その人の普段見ることのできない大事な部分」て感じ、なんかの感覚に似てるなと思ったんですが

「あっ、これは『パンツ(下着)』だな」と。

要するに、言葉=パンツなんだと。

つまり「どんな本が好きですか?」「どんな言葉が好きですか?」と聞く行為は「どんなパンツはいてるの?」「何色のパンツが好きですか?」と聞く行為に似ているのではないかなと思ったのです。

 

「君の考えは全てお見通しだよ」=「君のパンツは全てお見通しだよ」

「君の言葉で勇気がでたよ」=「君のパンツで勇気が出たよ」

「君の素晴らしい考えは人を幸せにするだろう」=「君の素晴らしいパンツは人を幸せにするだろう」

ほらね、全然違和感ないでしょ?(震え声)

 

どちらかというと、「爽やかなイメージ通り、薄いグレーのボクサーパンツを履いてる男子は、何事も『普通が一番』と考えている」とか、「言葉は乱暴だけど、可愛らしいポップなパンツを履いてる男は『実は傷つきやすいナイーブな人』」みたいなことかもしれません。

そして、言葉も文章もパンツも、人と同じものであれば、緩やかな安心感は得られますが、個性は死んでしまうでしょう。人と違ったものであれば、笑われたり、恥をかいたり、攻撃されたりすることもあるかもしれません。

でもね、人と違うことを恐れずに、自分自身のパンツを見つけられた人こそが本当に幸せな人なのではないかと思うんです。そして人のパンツを否定しないこと、大切な人のパンツを受け入れること。人の恥ずかしいけどありのままの本音を受け入れてあげられることが、自分も他人も幸せになる方法ではないかと思うんです。だからこそ、僕はこれからも積極的に言っていきたいと思うんです。

「パンツなにいろ?」って。