MR.ITOのやっつけ仕事

Between facts and delusions

名医、かくありなん

こんにちは、伊藤です。

 

 1月5日、金曜日の朝。

前回の記事でお話した風邪が治らないまま、仕事始めを迎えてしまった。

クリスマス前から、かれこれ3週間も寝込んでいる。

咳をしすぎて胸が痛くなってきてしまったし、このまま一人で治すのも限界のようだ。

こんなに胸を痛めているのは初恋に破れた中学時代のときと、

女性に「伊藤さんて何で結婚しないんですか?」って言われたときぐらいだ。

 

こういうとき「なんで?」と言われても答えに困ってしまう。

もし、正解があるなら僕が教えて欲しい。

そもそも、人間はなんでも自分の思うとおりにできるわけじゃない。

自然の流れに身を任せていたら、たまたま独身のままだったというだけだ。

 

それは例えば、東京から北海道に行こうと船に乗っても、

潮の流れが南に流れていれば沖縄についてしまうようなもの。

ラーメンを食べようと思って中華料理屋に入っても、

いつの間にか餃子とビールが出てきてしまうようなもの。

そう、全てはしかたのないことなのだ。

 

「出社したらすぐ病院に行こう」

 

仕事の合間に医者に行くことも、またしかたないことなのだ。

僕はそう決心を固めて会社に向かった。

 

 

自転車で約20分の通勤。

この冬で一番の寒さじゃないかってぐらいの冷え込みの中、

空はまるで天使が生まれたようにキラキラと晴れている。

 

しばらく走ると僕の好きな道にさしかかる。

葉を落とした黒々とした木々が立ち並ぶ坂道。

この下り坂をすこし勢いのついた自転車で走ると、

爽やかな日差しと木々の影が、リズムを刻んで降りかかってくる。

 

「ああ、なんて気持ちがいいんだろう」

 僕は、7日ぶりの通勤風景を満喫していた。

しかし、それもつかの間、やがて久しぶりにシャバの空気を吸った僕の気管支が、

外に無理矢理だされたニートのように激しく暴れ出す。

結局、もうなんか、体の中身が全部出てしまうんじゃないかというぐらいに咳き込みながら、僕は会社に到着した。

 

 

会社に着くと「おめでとうございます」と、

みんなが新年の挨拶をしている。

しかし、僕はそれどころじゃない。

めでたいか、めでたくないかという以前に、酸素が足りないのだ。

人間に必要な酸素が足りない人間にとって、めでたいとかめでたくないとか議論する余地はない。

そう思いながら、僕はやや離れた場所にいる部長を見つけると彼の前に歩み寄る。

すると、部長が僕を見つけ笑顔で挨拶をしてくれた。

 

「伊藤さん、あけまして…」

「部長…耳鼻科に行ってきまっ!ゲホゲホッ!ゲホゲホッ!」

「行ってらっしゃい…」

 

こうして僕は、部長に丁寧な挨拶をしたあと耳鼻科に向かった。

 

 

耳鼻科は、会社から自転車で5分ほど走ったところにある。

茶色のレンガ調タイルでできた、こぢんまりとした建物。

待合室には、4人掛けのイスが5つ程ならんでいるが、

そこに他の患者さんが座っているのを見たことは、ほとんどない。

 

こう書くと、この病院大丈夫なのかと思うかもしれないが、

ここの先生は近所でも評判の名医だ。

僕も何回か診てもらったことがあるけれど、とても丁寧な先生だという印象がある。

ただ、一つだけ難点があるとすれば、

この先生が、アンパンマンに出てくるジャムおじさんそっくりだということ。

診察中に思い出して笑ってしまうのだ。

 

そうなると、受付の女性がバタ子さんに似てるとなれば面白いのだけれど、

実際は、女優の石田ゆり子に似た美人で、愛想の良いお姉さんだったりする。

この耳鼻科は、そんなアニメと実写な二人で切り盛りしている素敵な病院なのだ。

 

 

耳鼻科に着くと、正月休み明けのせいか、

いつもはガラガラのはずの待合室に人がいっぱいいた。

子供と母親の2人づれが三組。

70代くらいのおばあさんが一人。

30代くらいの男性と女性が一人ずつ。

そこへ、僕が受付の石田ゆり子に診察券を出したことで、

40才独身男性(お嫁さん募集中)が加わった。

 

 

待合室は、エアコンの暖房が効いているはずなのに寒かった。

しかし、子供たちは母親と一緒に居られるのが嬉しいのか寒さなど気にせず、

母親に頭をこすりつけたり、本を読んでとせがんだりして甘えている。

僕もこのぐらいの歳のころは、母親に甘えていたな。

そんな昔の記憶を思い起こしていると、一人の子供が診察室に呼ばれて入っていった。

間もなくして、その子の絶叫が聞こえてくる。

診察室に残された子供達に恐怖が走る。

いつの時代も繰り返される、おなじみの光景だ。

ある男の子は「僕はあんなに泣かないよ!」と母親にアピールしてみせている。

 

そんな恐怖と勇気でいっぱいの子供達をよそに、

大人達は冷えた体を温めようと縮こまっている。

そのとき、おばあさんがおもむろに立ち上がった。

トイレにでも行くのかな。僕はそう思ったが正解は違うようだった。

おばあさんは「あー、さむいさむい」と言いながら受付の方に歩いていったのだ。

きっと、受付の石田ゆり子に暖房の温度をあげてもらうんだろう。

僕がそんな風に思っていると、おばあさんは受付の脇にある空気清浄器の前で立ち止まった。

そして「はぁ〜っ」っと深いため息を吐きながら、「あったかい」と小さくつぶやく。

 

…空気清浄機と暖房を間違えてる!!

 

そこにいる誰しもがそう思いながら、誰も突っ込むことができず時間だけが過ぎていく。

やがて、おばあさんをはじめ、僕の前にいた人達が全て呼ばれ、いよいよ僕の番がやってきた。

 

 

名前を呼ばれ診察室に入ると、見慣れたジャムおじさんが座っていた。

いや…よく見るとジャムおじさんが、なんだか老化している。

前よりも少しだけ体が小さく、そして髪の毛が薄くなっていた。

しかし、そこは名医、問診は順調に進んでいく。

 

「どうしましたか?」

「三週間くらい前から風邪で寝込んでまして。今は主に咳がひどいです。」

「ほかの症状はありますか?」

「鼻がすごく出ていましたが今日は割と楽です。代わりに右の耳が痛いです。」

「えーっと、三ヶ月前から?」

「いや、三週間です。」

「三週間ですよね」

いつの間にか、僕の脇に石田ゆり子が立っていて、

先生の質問に答える僕のフォローをしてくれていた。

 

「それでは、鼻を見るので上を向いてください」

先生はそう言うと、鼻の中を確認する器具を掴み、僕の方に歩いて来る。

でもちょっと待って。器具を持つ先生の手が震えている。

老化による震えだと思うけど、こんな震えで鼻の中をかき回されてはたまらない。

これでは、治療しに来たつもりが、危うく病院送りにされてしまう。

 

「ちょ…ちょっと待っ…」

 

恐怖にひきつる僕がそう言いかけたとき、

 

「キューッ!キューッ!キューッ!」

 

突然、携帯電話から、けたたましい音が鳴り響く。

続いて「地震です!地震です!」というアナウンスが聞こえてくる。

 

ああ、そうです。そうなんです。

地震です。地震なんです。

震源地はここですよ。この先生ですよ。

誰かこの震源地を止めてください。

一刻も早く、今すぐに!

 

僕が目をつむり、誰に祈るともなく祈っていると、

アースクエイク・ジャムおじさんは、地震警報に臆することなく僕の鼻に器具を突っ込んできた。

終わった。僕はここで鼻の穴の中をかき回されて終わるのだ。

ふいに、楽しかった日々を思い出す。

待合室で「僕はあんなに泣かないよ!」とお母さんに話していた男の子。

空気清浄機の前で暖をとっていたおばあさん。

今では全てが素敵な思い出です。

本当にありがとうございました。

ああ、どうせなら、僕も幸せな家庭というものを築いてみたかったな……。

だんだんと意識が遠のいていく……。

 

……終わりましたよ。

石田ゆり子のその言葉で僕は目を覚ました。

どうやら、診察は終わっていたようだ。

 

手の震えを心配していたが、そこは名医。

鼻の中に器具が入った瞬間、震えはピタッと止まっていた。

そして地震速報が鳴り響く中でも保ち続ける集中力。

そんな名医が名医たるゆえんを改めて感じながら僕は診察室を後にした。

ちなみに病名は「咳ぜんそく」ということだった。

いろいろと苦しい思いもしたが、病名もわかり薬も手に入れ会社へと戻る。

ただ一つ、診察された記憶のない耳の痛みを残して。

僕はここにいるよ

こんにちは、伊藤です。

伊藤といったらハム。

ハムと言ったらお歳暮ですよね。

いや、僕はハム作ってませんけど。

あっ、逆にそういう設定の方がよければ作りますけど。

別所哲也が「僕でもこんなの食べたことないよ」っていうぐらい美味しいやつ作りますけど。

そしたら僕と結婚してくれます?

 

と、2018年一発目の「無茶ぶり初め」も終わったところで、

2017年もめでたく独身を貫いてしまいました。

 

いや〜、貫いたね。すっごい貫いた。

流鏑馬だったら拍手喝采がわき起こるぐらい貫いてる。

正直、貫きすぎて自分でもびっくりしてる。

紀貫之が男だって知ったときぐらいびっくりしてる。

プラスして小野妹子が(以下略)

 

そんな、哲也と貫之と妹子もびっくりな、お歳暮シーズンを駆け抜け、

年末年始は実家で過ごす予定だったのですが。

 

どうもクリスマス前から喉が痛い。

そう、風邪。

あっ、話変わりますけど、

風邪というと「風邪っていう病気はない」とかいう人いますよね。

正直さ。だからなんだと。

風邪じゃなかったらなんなのだと。

「普通感冒」って言えばいいのかと。

「いや〜、先週からオレのステージ(体内)で、ライノウイルスとコロナウイルスがごきげんなダンスを踊ってるぜ」

なんて、アメリカンジョーク的にいえば治るのかと。

 

そんな見えない敵に加えて体内の敵とも戦いながら、

なんとか仕事納めまで過ごしたのですが、一向に治らない。

ここはいっそ、実家に帰って静養するかと思ったのですが、

実家にはそこそこ高齢になった母がいる。

まだまだ元気な母だけど、やっぱりうつるかもしれない。

ならば、今は帰れない。

孝行息子としては、そこだけは譲れない。

「孫の顔が見たい」といっていた母。

そんな母から「孫はいいからお前が年を取ったときに寂しくないように誰かいい人を見つけて欲しい」と言われるぐらいの孝行息子でも、さすがにできない。

ちょっとそこ泣かないで。

泣きたいのは僕だから。

いや、本当に泣きたいのは母だから。

同情するならデートしてください。

というわけで、実家には帰らず単身者用マンションで一人新年を迎えたわけです。

 

 そんでもって、29日の休みから、30日、31日と寝込んでいたのですが、

ついに昨日、新年を迎えてしまいました。

そして、少し調子がよくなってきたところで食糧がなくなったためネットスーパーを頼む。

 

正直ね。元旦から申し訳ない気持ちでいっぱい。

だってさ。こんな元旦から配達の人に食料品を運ばせるなんて可哀想じゃない。

彼だって家族と一緒におせちを食べて、新春かくし芸大会を見て、

アキラ100%が130%くらいにオーバーしちゃったね」なんて言いながら

笑って過ごす元旦を迎えられたかもしれないのに、

僕が食糧品を頼んでしまったばっかりに、

その機会を逃してしまったかもしれないじゃない。

 

でもね。待って。

僕もそんな元旦過ごしてない。

ずっと寝てるだけでFacebookに投稿できるような楽しいイベントなんて何にもない。

いいね!もなければ絵文字もつかない。

どっちかというと地獄のミサワスタンプしか使えない。

となれば道連れよ!

オレはなる!鬼になる!俺は世界一の鬼になるぞー!!

と、気持ちを切り替えて食材を楽しみに待つ私。

 

 

午後になり、配達のお兄さんがやってくる。

「ピンポーン」

「はーい」

「ネットスーパーのお届けです〜」

「今でまーす」

といって、玄関の扉をあける私。

そこには桐谷健太似の配達のお兄さんが荷物を持って立っている。

 

しかし、桐谷健太は僕のことをジロジロ見ているだけで何も話さない。

あっ、ひげが生えてるからかな?

違う、違うよ、お兄さん。

僕はルークじゃない。

ルーク・スカイウォーカーじゃない。

数日寝込んでひげは生えてるけど最後のジェダイじゃない。

父であるダース・ベイダーを最後まで信じて、

見事ダークサイドからライトサイドに転向させた伝説のジェダイじゃないんだ。

フォースも使えなければ宇宙に行ったこともない。

ついでに言えば沖縄にだって行ったことない。

君がシスとの戦いに備えて修行をしたいっていっても、

僕には教えられることなんて何一つない。

もしあるとすれば、せいぜいお風呂場の鏡についた汚れをキレイに落とす方法ぐらいだ。

だって、僕は…僕は…ただの会社員だから。

ああ、行きたいな、沖縄……。

 

と、BGMに海の声を流しつつ、意識が沖縄に飛びかかったところで

桐谷健太が「お荷物お届けにきました」と声をかけてくれた。

よかった。戻ってこられた。

母さん、ジェダイは無事に帰還しました。

飛んでいった僕の意識が、危うく島んちゅぬの宝になるところでした。

ほっと胸をなで下ろしたところで、桐谷健太から商品を受け取る。

 

健太「ご注文の……ティッシュです」

ぼく「あっ、どうも」

健太「そして、こちらが……もう一つティッシュです」

ぼく「!?!?」

 

どうやらネットスーパーのお年賀がティッシュペーパーだったらしい。

ちょっと待って健太。

いらないよ、そんなにティッシュいらないよ。

男子中高生ならいざ知らず、僕はもう合計8箱という大量にティッシュをすぐに使い切れるような時代は過ぎてしまったんだ。

どうせなら、しっとりするティッシュをください。

いま僕に必要なのは潤いだ。

いろんな意味で潤いが必要なんだ。

と心の中でつぶやきながら無事にティッシュと大量の食糧をゲット。

 

勝てる、勝てるぞ。

たとえウイルスが、鳥取城攻めの羽柴秀吉クラスに残酷な兵糧攻めをしかけてきても、

これなら勝てるぞ!!

そう勝利を確信したとき、事件は起きた。

 

っ……痛いッ!腰が痛いッ!

息できないぐらい腰が痛いッ!

 

寝たきりで筋肉が硬くなっていたのか、

ちょっと動いただけで見事なぎっくり腰に。

いや、わかんないけど、たぶん、ぎっくり腰。

 

会社の人がよく「ぎっくり腰はつらい」なんて言うのを聞いてたけど、

正直なめてた。

体をくの字にしたまま全く動けない。

無理コレ、完全にヤムチャのポーズ。

栽培マンに「おれひとりでやってやる」と息巻いたヤムチャのように

「おれひとりでやってやる」と風邪ウイルスに戦いを挑んだ私がバカでした。

すまない…すまない、健太。

すべて私の責任だ。

沖縄にはひとりで行ってくれ。

那覇市にあるホテル『アメリカン』の511号室に絵が飾ってある。

その裏を探してみてくれ。

とっておきの泡盛が隠してある。

俺からのプレゼントだ。

 

しかし、僕の言葉は届かない。

健太にも哲也にも、

紀貫之にも小野妹子にも届かない。

 

ひとはいさ 心も知らず ふるさとは

花ぞ昔の 香ににほひける

 

そうして、僕のため息だけが、静寂に消えていった。

 

BGM:僕はここにいる/山崎まさよし

ロケ地:東京都

私たちはいつから元気よく挨拶しなければならなくなったのだろう

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明けましておめでとうございます、TQMです。

 

2018年、元旦。

新しい一年の始まり。

一年の計として今年の抱負を述べますと、

「自己満足」でいこうと思います(笑)。

 

その理由の一つは、職場での役割の変化と、そこでの気づきによるもの。

技術的な人材育成業務から、人間力を高めるための人材開発へのシフト、

その結果、受講者一人一人と向き合い、人の心に深く関わったことによるものです。

 

受講者の中で特に気になったのが「元気よく挨拶をする人」でした。

彼らから感じる「わざとらしさ」。

なぜ彼らはわざとらしく感じるのか?

そんな彼らを分析していくと、二つの特徴が見られます。

 

一つは、人からの期待に応えようと懸命であること。

もう一つは、根本的に自信がないということ。

 

原因を探っていくと、彼らは子供の頃から周囲の期待や理想にプラスして、

「今それができていないあなたはダメだ」と言われたり、自ら感じていたりする。

その自己否定が彼らに劣等感を植え付け、自信をなくさせているのです。

ーーなんて悲しいことでしょう。

 

そして、劣等感を持った彼らは欠けた心を補うために、人から承認されることを必要以上に求め、期待に応えようとしているように思えてなりません。

 ーーなんと健気なことでしょう。

 

ここで彼らの劣等感の原因となったものは、親、友人、先生、上司、果ては本、ネット、テレビなど周囲の人や環境すべてです。

彼らは、この環境から受けるメッセージ、例えば、親や先生からの「〜しなさい」という言葉、友人の楽しそうな姿や成功した姿、情報媒体から発せられる人としての理想像などから、親や友人のように「理想的ではない自分」を否定し、劣等感を抱えていくのです。

 

 その結果、自分が本当に好ましいと感じることをする「自分らしい自分」ではなく、他人の期待や理想通りでなければならない「他人から押しつけられた自分を生きることになる。

ーーもう、苦しくてしかたありません。

 

この「自分らしさ」と「理想的であるべき自分」のギャップ、苦しさこそが、彼らのわざとらしさの正体なのではないでしょうか。

 

そこで私は、

「自分はダメじゃない」と思うこと、

「自分は自分らしく生きていい」と思うことが大切なのではないかと思うのです。

 

テレビもネットもなく、親も友人もいないとしたら自分は何がしたいのか、

そんな「野生の自分」が求めるもの、

その心の声を感じて行動することが大切なのではないでしょうか。

 

それは盛大な自己満足なのかもしれません。

自己満足という言葉を否定的に捉えてしまう人は、次のように考えてみてはどうでしょうか?

 

もし、あなたが満足であれば、

その行いに対して満足する人が少なくともこの世に一人いるということです。

もし、あなたが不満足であれば、

その行いに対して満足する人はこの世に一人もいないかもしれません。

 

このように考えてみれば、自己満足もいくぶん上等なもののように思えます。

 

そんな自己満足の行動が、結果として偶然にも他人の期待に応えられたら、

とても素晴らしく嬉しいことではないでしょうか。

 

自分も他人も幸せになれる自己満足を目指す。

その第一歩として、自分自身が自己満足を感じて生きていくこと。

それが、ヒト、モノ、コトのあふれる現代に生きる私たちにとって、

最も重要な課題なのではないだろうか。

新人にとって最も大切なこと

みなさん、こんにちは。

4月を迎え、新しい生活を始める人も多いのではないでしょうか。

新生活の始まりは期待もありながら、慣れない土地、慣れない人間関係など、不安も多い時期ですよね。

 

そんなときにSNSを見ると、友達が楽しく遊んでいる写真や、仕事でバリバリと活躍している投稿が流れてきたりします。

そして、ネットの記事を見れば、「幸せな人が知っている××の知識」だったり、「身につけておくべき○○の知識」のようなタイトルが流れてきたりします。

 

そのとき皆さんはどう感じるでしょうか?

「ああ、自分は○○の知識が無いから、みんなのように幸せじゃないのかな…」と思ったり、「××の知識がないから、自分は未熟なのかな…」なんて思ったりしていませんか?

こんな風に思う人は、危険です。

それはハウツー的な記事だったり、テクニックやマニュアル的な情報に飛びついてしまう危険性があるからです。

 

僕は職場で教育マニュアルなんかを作ったりしていますが、いつも思うことがあります。

考えてみてください。

仕事でも、恋愛でも、ファッションでも、読んだだけでうまくできるようになるマニュアルなんてあるのでしょうか?

それらを最初から上手くできる人なんているのでしょうか?

結局、人は自分で経験し、失敗し、自分自身で反省して改善しなければ成長できないのではないかと私は思います。

マニュアルというのは、その成長を促進したり、リスクを最小限に抑えるためにあるのではないでしょうか。

ここで、リスクを最小限に抑えるというのは、失敗を抑えるということです。

特に人間関係で失敗するということは、傷つくことを意味します。

誰だって傷つきたくありません。

恋愛マニュアルが売れる原因はここにあるのではないでしょうか。

つまり、みんな「うまくやりたい」し、「失敗したくない」し、「傷つきたくない」から情報を得ようとするのです。

 

しかし、情報に触れる前に、最も大切なことがあるのではないかと私は思います。

それは

「自信を持つこと」

「自分と他人を比較して、自分はダメだと思わないこと」

「失敗して当たり前という覚悟を持つこと、失敗を恐れないこと」

「自分自身が何を求めているのか、今やりたいことは何なのか、よく考えること」

です。

 

自信を持つことに根拠なんていりません。

なぜなら、あなたは、あなた以上でも、あなた以下でもなく、

そのままのあなたでいること、それだけで価値があるからです。

 

新年度のこの時期、ネットを開けば不安を煽るような情報に出くわすかもしれません。

でもそれはもしかしたら、そんなハウツーの情報を売りたい誰かが仕組んだトラップかもしれません。

新しい環境で過ごされる方々が、どうか、自分自身を見失わず、前向きな日々が送れますように。

 

パンツなにいろ?

みなさんこんにちは。
先日、本屋に行ったら過激なタイトルの本が並んでいました。

『夫のちんぽが入らない』

もうね、「バカか」と。
「言葉や文章の表現ってそうじゃないだろう」って思うんですよ。

だって「夫のちんぽが入らない」なんて、ただの事実報告じゃないですかっ!

「可愛い女の子のお尻を触ったら逮捕されてしまいました」ぐらいに、何の含みも余韻も感じられないじゃないですかっ!

僕としては、曲がりなりにも本を出す人なら「小さくて大きな夫婦の問題」とか「入れられる勇気」とか「夫の息子はビックダディ」とか、なんでもいいから表現力を使って欲しいなって思っちゃうんですよね。

まあ、直接的で過激なタイトルを持ってくることで人の注意を引こうという戦略なのかもしれませんが、僕にはちょっと抵抗のある手法だったりします。

ちなみに本の内容は読んでないので分かりませんが、売れているのできっといいものなのだと思います。

というわけで、今回のタイトルは、

「パンツなにいろ?」

いや〜、我ながらとても含蓄のあるタイトルだと思いますね。
まだ二月だけど、もう今年の流行語大賞はもらっちゃったんじゃないかコレ。

あっ、いま心の中で「さっき言ってた話と違うぞ」って思っちゃった方は、急いで薬局に行ってグッスミンというお薬を買って飲んでください。そして頭をスッキリさせてから続きを読んでください。

 

冗談はさておいて、言葉や文章というのはその人の心を移す鏡だと思うんですよ。

「いつもよりメイクが少しだけ濃いから今日のデートは気合いが入っている」とか、「薄毛とハゲの境界はどこからだろう」とか、「美少女のお尻を触るとどうして逮捕されてしまうのだろう」とか。

言葉とはいわば、その人がどれだけの物事を感じ取り、それをどのような出来事だと捉えているかという「認知と認識の力」によって、心の中から現実の世界に表れてくる思考そのものだと思うのです。なので、当然、その人の「思考のクセ」が表れてくるのではないでしょうか。

わかり易い例で言えば、「嬉しい、楽しい、良かった」などポジティブな言葉を多く使う、「悲しい、つまらない、もういやだ」などネガティブな言葉を多く使うということ、又は直接的な表現を好む、間接的な表現を好むなどという「言葉の傾向」が「思考のクセ」の例だということです。

そして、その言葉の集合体が文章。

つまり、文章というのは普段見ることのできない、人の頭や心の中にある思考と嗜好の集大成(哲学や理論)だと言えるのではないでしょうか。

しかし、最近は作家やブロガーでない限り文章を書く人というのは、かなり少なくなってきているのではないでしょうか。なので、友人や恋人、家族の文章を目にする機会というのは、なかなか無いように思います。

そこで代わりになるのが「どんな本が好きか?」ということ。

つまり、本人が書かなくても、どんな本が好きか質問することで、その人の思考の傾向をある程度知ることができるのではないかといこうことです。

というわけで、僕は本当に仲良くなりたいと思った人から好きな本を聞いて読んでみるという行為をしばしば行います。

そのときに教えてもらった本がベストセラーであれば「ああ、この人はまともな人なんだなあ」と無難な選択にガッカリしたり(聞いておいて失礼)、ちょっとアングラな本であれば「おーっ、こんな一面もあったのか」と意外性が垣間見られて嬉しくなったりします。

 

ここで、言葉や文章のもつ「その人の普段見ることのできない大事な部分」て感じ、なんかの感覚に似てるなと思ったんですが

「あっ、これは『パンツ(下着)』だな」と。

要するに、言葉=パンツなんだと。

つまり「どんな本が好きですか?」「どんな言葉が好きですか?」と聞く行為は「どんなパンツはいてるの?」「何色のパンツが好きですか?」と聞く行為に似ているのではないかなと思ったのです。

 

「君の考えは全てお見通しだよ」=「君のパンツは全てお見通しだよ」

「君の言葉で勇気がでたよ」=「君のパンツで勇気が出たよ」

「君の素晴らしい考えは人を幸せにするだろう」=「君の素晴らしいパンツは人を幸せにするだろう」

ほらね、全然違和感ないでしょ?(震え声)

 

どちらかというと、「爽やかなイメージ通り、薄いグレーのボクサーパンツを履いてる男子は、何事も『普通が一番』と考えている」とか、「言葉は乱暴だけど、可愛らしいポップなパンツを履いてる男は『実は傷つきやすいナイーブな人』」みたいなことかもしれません。

そして、言葉も文章もパンツも、人と同じものであれば、緩やかな安心感は得られますが、個性は死んでしまうでしょう。人と違ったものであれば、笑われたり、恥をかいたり、攻撃されたりすることもあるかもしれません。

でもね、人と違うことを恐れずに、自分自身のパンツを見つけられた人こそが本当に幸せな人なのではないかと思うんです。そして人のパンツを否定しないこと、大切な人のパンツを受け入れること。人の恥ずかしいけどありのままの本音を受け入れてあげられることが、自分も他人も幸せになる方法ではないかと思うんです。だからこそ、僕はこれからも積極的に言っていきたいと思うんです。

「パンツなにいろ?」って。